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金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


256)ゲームと歴史の記述

岩崎夏海と稲田豊史による共著『ゲームの歴史』(全3巻、講談社、2022)の内容があまりにいい加減だという話を見かけた。すでに内容に対する指摘をまとめた記事も挙げられている(書籍「ゲームの歴史」について(1))。というか個別の歴史すらまとめられていない分野で、いきなり通史を作ろうなんて無理な話で、読者をバカにしている。

さて、肌感では、指摘側が正しい。とはいえ、指摘側もまた史料を提示できていない点は留意しておかなければならない。どこまでが証拠に基づいた事実でどこからが主観なのかを明確にしないと歴史書とはいえない。たとえば、日本美術の通史である『日本美術の歴史』(補訂版、東京大学出版会、2021)を一人で書き上げた辻惟雄ですら、各分野をそれぞれの専門家に確認してもらってから上梓している。

このような話は今回が初めてではない。2014年に発売した岩崎祐之助の『ゲーム音楽史: スーパーマリオとドラクエを始点とするゲーム・ミュージックの歴史』(リットー・ミュージック)も同じように内容が細かく指摘がされていた。こちらはぼくも購入したが、ゲームの音源についての話が多く、とても通史と呼べるものではなかった。両者に共通するのは、オーセンティックなタイトルに中身が伴っていない点だ。そういう意味では、著者よりも編集者の責任の方が大きい。

ゲームに限らず、歴史を概観し編纂し、通史にまとめ上げるのはかなり難しい。ゲームは、新しい分野なだけあって密度も高く、既に口伝的な「神話」がかなり紛れ込んでいる。単にゲームに詳しいオタクや当時開発していました、ってだけの人ではまず無理で、学術的な経験が知識が多分に要求される。でないと、動画の「ゲーム機大戦」あるいは百田尚樹の『日本国紀』(2018)のようなものが出来上がるのでないか。

イーグルストンの『ポストモダニズムとホロコーストの否定』(岩波、2004)で(だったと思うが)、歴史書と歴史小説の違いについて言及されていた。それは記述の違いであり、史料に基づいた科学的な手続き(裏付け)を踏んだものが歴史書であり、そうでないものが歴史小説である、と書かれていた。まさにその通りだと思う。だから、タイトルが『ぼくが見てきたゲームの歴史』や『ゲームの音源の歴史: スーパーマリオとドラクエを始点として』というものなら、そこまで問題にならなかったと思う。

2023-03-03