175)オタクに媚びてどうすんの
オリンピックの開会式で、ゲーム音楽メドレーが流された。プロパガンダとして雑に使われたんだから、みんなキレてるだろうな、と思ってたけど評判はすこぶるいいようだ。そんなんだから「オタクはちょろい」なんて言われてしまうのですよ。ゲーム音楽と政治が結びついたことがよほど誉れ高かったのか、嬉しそうで何よりです。
まあプロパガンダ的には大成功でしょう。ゲーム音楽メドレーは海外に向けたものというより、日本のオタクの心をくすぐることが主な目的だったと思う。すでに次のようなエピソードが語られている。「ゲーム音楽は昔から虐げられてきた、そして今、オリンピックで日の目を見たのだ」。って、どんだけ矮小化してんだか、そんなことは決してない。
Game*Spakeというゲーム情報サイトで「東京オリンピック開会式への怒りと絶望…ゲームへのリスペクトがない演出とそれをありがたがる人々が許しがたい【コラム】」(2021-07-25)という記事を読んだ。ゲーム音楽はオリンピックに適切だったのか、ということを丁寧に論述した勇気あるコラムだ。なんで勇気があるか、といえばネットのゲームオタクに叩かれるのが目に見えているからだ。
もう一つ、同じくゲーム情報サイトの電ファミニコゲーマーの「東京オリンピック開会式でのゲーム音楽の使用にまつわる議論から、現代における社会の分断について考える──インターネットは民主主義の敵なのか?」(2021-07-27)も読んだ。Game*Spackの記事に反論する形で書かれたようだが、単なるポジショントークに終始していて、中身はゼロである。ここに書かれているようなDD(どっちもどっち)論や脱構築こそが、電ファミのいう建設的な議論(?)を阻止するものではないか。
しかし、Game*Spakeの記事のコメント欄に、見てないのに批判するな、と書いている連中には本当に呆れる。批判の対象は、スクリーンを通してみた開会式ではないのだが、まあ書いてあることが難しすぎて理解できないのでしょう。そして、ライターは、「我々はゲームを遊ぶことで様々なことに想像を働かせてきたのではなかったか?」というが、それが実現されていない様が見事に表れている。
追記(2021-07-28):Game*Sparkの編集長が公開した記事、「7月25日掲載のオリンピックに関するコラムにつきまして」(2021-07-27)を読んだ。最近、逃げ腰の編集長が多い中で非常に立派な編集長だと思う。コメント欄に多く書かれている、政治的な話題を絡めるな、は最も政治的な思想だろう。それは現体制の支持と対抗勢力の抑制を意味する他ならない。まあ、分かってるのか、分かってないのか微妙な所ですが。
2021-07-27