135)おじいちゃんたち
9月16日、菅内閣が発足した。平均年齢は60歳。おじいちゃんたちによる内閣だ。平均年齢の高さもさることながら、女性閣僚がなんと2人しかいないというから驚く。なお、その女性閣僚とは、法務大臣の上川陽子と五輪担当相の橋本聖子である。
女性閣僚が少ないことに対して、人生経験や能力で決を採ることは平等かつ民主的であり当然の結果である、という声をネットで見かけたが、指摘は当たらない(菅)。女性枠を設けて男女比を形から合わせることは、不自然ではない(おじいちゃんだけの方がよほど不自然である)。なぜならば、強制的にでも女性枠を設けなければ、永久に彼らの言う経験を得ることはできないからだ。女性を排除してきた日本の政治の結果である。
ぼくは、前述したように、形からでも女性閣僚を増やすべきだと思っているが、注意も必要だ。女性閣僚の登用が、女性は政治に向かない、といった偏見の植え付けに利用される可能性があるからだ(男性閣僚が無能でもその性が取り上げられることはない)。まず、女性に政治経験がないことは、これまでの政治の結果である、という事実をみなが受け入れ、相互扶助していくことが必要だろう。言い換えれば、おもいやることである。
多数決で少数派を切り捨てることは、民主主義ではない。民主主義とは、多数派が少数派を切り捨てることではなく、少数派と話合うことだ。この話合いは、少数派を説得したり隷属させようとするのものではなく、少数派の価値を認めて、よりよくしようとするものだ(弁証法や脱構築)。この話合いを拒否をするのが、今の日本である。繰り返しになるが、他者をおもいやる気持ちが大切である。
しかし、ネトウヨ諸君(内調?)は、なぜか石破が親中の反日勢力であるとしてネガキャンをしていた。左派のぼくに言わすと、石破は極右でかつ候補の中で最も危険な人物だと思っている。石破が総理になれば、憲法改正を目指し、国防軍(名称は自衛隊のままとしたが)を作ろうとするだろう。ネトウヨのいう親中が何か分からないが、それは石破ではなく二階のことではないだろうか。
2020-09-23