101)次にくるAI〇〇は
「NHK紅白歌合戦」で「AI美空ひばり」が登場した。といっても、テレビは持っていないのでリアルタイムで見たわけではない。数ヶ月前にもグレン・グールドがAIで蘇った、という話を聞いた。これらはYoutubeで見られるので見てみたが、なんだかなあ、と思う。はたしてAIに創造的なことが可能なのだろうか。ぼくには、子供だましにしか見えない(少なくともこの件に関しては)。
AIが芸術に関わったものとして、2018年にAIが描いた肖像画がオークションにて4900万円で落札された例がある。これは、14世紀から20世紀に描かれた肖像画1万5000点のデータを与え、その結果を出力(プリント)したものだ。まず、1万5000点の絵画のデータを与える、という発想が馬鹿らしい。見るのは「質」であって「数」ではないのだが、こんなことすら理解していないのである(技術的に無理なのだろう)。普通であれば、複数の絵画を対照させ、それぞれが有した特徴を感じ取れば、その構造や限界が分かるものだ。後でも述べるが、この作品は、ある人間がAIを使って絵画を描いた、というレベルの話であって、決してAIが自律的に描いたものではない。
このように、「答え(芸術に答えなどあるのか)」となる情報を与えて学習させる方法を、「教師あり学習」という。今回の美空ひばりやグールドも同じように教師あり学習をしたはずである。そして、これでは既存のものを超えることは決してできないのではないか、と容易に想像がつく。AIの絵画にしても演奏にしても、オリジナルの劣化コピーにしか過ぎない、複製芸術でもない単なる「なりきり」である。あれで感動できるのであれば、それはそれで幸せものかもしれない。
兎にも角にもエンジニアは、演奏が表現であるということに全く気がついていない。美空ひばりやグールドに表れる演奏の特徴は、表現を追求した一つの結果である。なぜグールドがスタッカート気味に演奏しているのか、その哲学は数理的には絶対に分からないのである。たとえば、美術ならば、きれいな線を引いたり正しい色を出す、音楽ならば、正しいリズムや音程を出す、これこそが表現の本質だ、というのであればそれでよい。しかし、そうではないだろう。これらは、一般的に「死んでいる」と形容されるものだ。
では、真の表現者は誰であるのか。AIが曲を解釈し表象したものを演奏(再現)をしたのか。それともエンジニアが過去の演奏データを「作為的」に与えた、ただの計算結果なのだろうか。今回のケースは後者であるとすでに述べた。しかし、前者の場合でも分析する内容やその構造を事前に設定する必要があるので、結局エンジニアに依存する。そして、もし音楽のプロにアドバイスをもらって調整をしたのであれば、それはただの「打ち込み」と言われるものである。
今回のような技術は、「Deepfpke」と呼ばれており(Deeplearningとfakeの混成語)、偽ポルノや電話詐欺といった犯罪で注目されている。あと十年もしたら本物との見分けがつかなくなるだろう。それは、吐き出されたデータが「対象」に限りなく接近する、ということで、それがDeepfakeの限界でもある。なお、Deeplearningと聞くとなんだかすごものに聞こえるかも知れないが、これは従来の計算(記号計算主義)よりも(かなり)速いだけであって、異なる結果がでる訳ではない。
次にAIを冠して登場するのは人物は誰だろうか。AIヒトラーか、あるいはAI麻原か、それともAI神だろうか(すでに「Wpy of the Future」というAIを神とする宗教が存在する)。何れにせよ、その役割は思想を代弁する装置としてである。だとすれば、AI〇〇に最も要求されるものはカリスマ性である。まあ、死後もAIとして消費され続けられている御二人方には同情する。あと、こんなものを有難がってる人は、少し考えたほうがいい。
2020-01-04