21)『知の欺瞞』で欺瞞
Bricmont, et Sokal. Impostures Intellectuelles. France, Editions Odile Jacob, 1997. という本があります。フランス現代思想に興味がある人にとっては有名な本だと思います。日本でも2000年に岩波現代文庫から、ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』として出版されています。
この本は、ラカン、クリステヴァ、ボードリヤール、ドゥルーズ/ガタリといった、フランス現代思想家たちを批判するものです。批判内容を端的に言えば「ポストモダン思想の理論構築の理由付けに、数学や物理といった自然科学の概念や用語をいい加減に使うな!」というものです。重要なのは、思想そのものを否定している訳でなく、あくまでも誤った科学用語で権威付けする行為を批判しているだけです。ソーカルは当書で次のように述べています。「われわれが批判しているのは、極端な型のポストモダン思想や、ある意味でそれから引き継がれた穏健なポストモダン思想における知的混乱だけなのである。」(271-272頁)
腹が立つのが、この『知の欺瞞』を持ち上げて思想そのものを批判しようとしている人たちがいるということです。本人の名誉のため名前は伏せますが、某心理学の論文で、『知の欺瞞』をいい加減に持ち出し、相対的に自分の論を補強するというものがありました。この行動こそがまさに〈知の欺瞞〉だということに気がついていないのでしょう。
ところで、最近の哲学書にはコンピュータ用語を使ったものがあります。Amazonでハーマン『四方対象:オブジェクト指向存在論入門』(人文書院、2017)というものを見かけました。コンピュータが好きな僕からすると中々魅力的なタイトルですが、正しく使われているのか――知の欺瞞か――が気になります。
オブジェクト指向のいうオブジェクト(もの)とは、メモリマップ上に置かれた具体的なデータ(インスタンス/実体)を指しています。このインスタンスは、クラス(抽象)という設計図から情報を継承し生成(実体化)されます。実体例として、田中、鈴木、佐藤という個人が挙げられます。彼ら個人は人間クラス(サブクラス)に汎化(抽象化)され、人間クラスは生物クラス(スーパークラス)に汎化されます。こうして見ると、田中、鈴木、佐藤という実体は、差異だけが類似した状態になって、同一(論理積)の箇所はクラスに格納されています。色々と説明不足ですが、兎に角オブジェクト指向と哲学との相性は良さそうです。(勉強すれば、ちょっとした論考か要約くらいは書けそうな気がしてきました。)
2018-03-06