274)何が問題か分かっているのか
eスポーツプレイヤーが配信中に「発達障害」「脳に障害」と発言した。とんでもない話しであるが、2022年2月18日に本サイトのChirperに以下のような文を投稿した。
このように、eスポーツの世界において差別的な発言は決して珍しいものではなく、日常的に差別的な表現を好んで発言しているのだ。だからこそ、つい普段の姿が出てしまったのだろう。
お前はどうなんだ、と言われそうなので補足しておくと、センシティブで差別的な表現を使うことはある。しかし、それは「意図的」かつ「完全に閉鎖された場(=特定少数)」でのみである。したがって、普段の生活の中で「不特定多数の場」で「うっかり」言ってしまうことはない。
閑話休題。兎にも角にもeスポーツの世界に、差別発言や「いじり」は恥ずかしいことである、というスティグマ化が必要なのは間違いない。精神科医の斎藤環は、いじめのスティグマ化には最低でも次に挙げる三つの要件が必要だという。
- 加害者の謝罪
- 加害者への処罰
- 被害者の納得
しかし、ゲーマーの意見を見るにこのスティグマ化は拒まれていることが分かる。ゲーマーの意見は、YouTuberのミートたけし「格ゲー界の不適切発言・謝罪を経て今伝えたい事」の動画とコメント欄である程度知ることができる。端的にいうと、「差別発言は悪いことだが、当事者じゃないなら黙っていろ、なぜならば業界のためにならないから」というものだ。そして、この意見に追従するものも多い。
社会全体にはびこる暴力という問題を、個人や業界の未来という話に矮小化あるいは転嫁するが、それでは被害者の未来はどうなるのか。被害者(関係者含む)以外は声を挙げるな、というのは極論かつ暴論ということを認識しているのか。そもそもとして、何が問題なのか分かっているのか。
当事者(被害者)が直ちに声を上げられる保証がないことは歴史がすでに証明済みのことである。時間が経ってから発言したり、ジャーナリストといった他者にその言葉を委ねるとことも珍しいものではない。なぜなら、暴力はそれまでの自分と世界の関わり方を破壊し、その境界を曖昧にするからだ。そして、その理解は遅れて到達あるいは永久にやってこない。
どうも、ゲーマーやアニメオタクは、維新的な社会ダーウィニズム、それに端を発するネオリベ的な思想が根底に根付いているような気がしてならない。ここらへんについては、「オタク票と表現の自由」でも少し述べた。そろそろ、実体験でもあるオタクコミュニティの頃の話を書いてもいい時期かもしれない。
追記(2023-08-06):たぬかなは、弱者男性をいじってあげることで、弱者男性に居場所を提供し、また弱者男性はいじられることで(透明である自身を対象に)他者からの関心を得る。考えうる最悪の状況だ。こうなってくると、弱者男性はより「弱者男性」の振る舞いが要請され、事態は深刻なものになる(土井隆義のいうキャラ化)。差別やいじめといった暴力がエスカレートする仕組みと同じである。非対称な関係性に同質な繋がりを渇望し錯覚するその姿は、かつて「俺たちの麻生太郎!」と声高々に叫んでいた連中と重なる。
2023-07-15