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金沢音楽制作

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79)オタク票と表現の自由

今回の選挙において、いわゆるオタクと呼ばれる層の多くが自民に投票した。正確にいえば、比例区代表の山田太郎(自民)にオタク票が集中したのである。その票数は、なんと53万票(!)である。山本太郎の獲得票が96万票であることを考えれば、その票数のすごさがよく分かると思う。とくにツイッターでは山田太郎はオタクの味方である、とされて複数のハッシュタグで熱烈な応援がされていた。

だが大きな疑問がある。表現規制反対派なんて、どこの党にも一人はいるにも拘らず、なぜオタク層は表現の自由を規制しようとする自民に入れたのだろうか。これは明らかに自らの首を締める行為であろう。これに経験的に答えるならば、オタク層は、安倍や自民がとにかく好きだし、憲法9条や左翼がとにかく嫌いだから、となってしまう。だとすれば、自民かつオタクのいう表現の自由を守る山田太郎はまたとない逸材なのであろう。

経験的に、といったのは、ぼくが00年代後半の頃にオタクのオフ会によく参加していた時の体験に拠っているからだ。その時に出会った面子のほとんどが改憲を支持する自民支持者であった。というか、自民を応援するのは当然であるが、自分は中道である、と口を揃えて言い張る連中であった。オタクには、全体主義に陥っていることを誇りに思う謎のエリート主義が蔓延っていたと思う。彼らは、他と違うことを誇る一方で、仲間と同じ体験や思想を共有することを誇りに感じているのである。たとえば、その時期に流行しているソーシャルゲーム、アニメを体験していないものは、オタクに非ず、とされてしまうのである。

閑話休題。山田太郎のいう「表現の自由」の特徴は、アニメ・ゲームなどの表現規制反対に限定していることである。たとえば、エロ・グロの表現のみならず、同人誌でみられる二次創作といった表現の自由を守る、というものである。その一方で、思想の自由といった、基本的人権には一切触れていないようにもみえる。そして、今後の物語はこうである。自民が表現の自由を規制しようとする、それに山田太郎は果敢に戦うのだ。かくして表現の自由は最悪の結果から守られ、妥協案の規制に落ち着いたのであった。はい、表現は無事規制されましたとさ。ガス抜きのマッチポンプですね。

ぼくが自民が表現の自由を規制するという論拠は、自民が民主主義を強く謳っている点にある。民主主義とは、多数こそが正義であり、多数こそが論拠である、という主義である。そして、民主主義と対立するのは憲法が国家を抑制する立憲主義である。つまり、山田太郎がいう「表現の自由」とは、憲法21条に掲げられた「一切の表現の自由の保証、及び国家による検閲の禁止」とは別の何かなのである。なぜならば、民主主義の前では憲法などただの紙切れに過ぎないからだ。そして、もし憲法改正が多数決により決議されたのであれば、立憲主義国家から民主主義国家への転換である。こうなれば、憲法21条など、多数という検閲の前にひれ伏すことになるだろう。

しかし、憲法が定める「表現の自由」の範囲が難しいことは確かである。たとえば、ヘイトスピーチを表現の自由として認めるのか、だとすればどこからヘイトスピーチなのか、などである。おそらく、憲法といった法から離れ、倫理的な話になってくる気がする(だがヘイトスピーチ対策法は法で表現を抑制しているではないか)。このテーマはまた別の機会に取り上げたい。

さて、自民のオタク票の獲得は見事であった。彼らの習性(全体主義的な)を利用して、その自尊心をくすぐることで見事53万票の組織票にまとめ上げてしまったのだから。実はこの53万票の獲得には、表現の自由とは別のエピソードもあった。投票前の7月18日にある事件が起こった。京都アニメーションでの放火殺人事件に起因するものである。この放火によって、京都アニメーションが管理していた作品資料が焼失したという(サーバー内にデータはあるらしい)。だが、本来であればこの焼失は防げたはずだというデマのツイートが人気を得た。その論拠は、2009年の麻生内閣における国立メディア芸術総合センターである。

そのツイートの内容は、民主党政権によって凍結された国立メディア芸術総合センターが、もし実現されていたならば、京都アニメーションが保有する資料といった財産が守られていたはずである、というものである。少し考えれば、なぜ国が京都アニメーションの財産を管理しなきゃならんのだ、と気が付きそうなものである。当然、国立メディア芸術総合センターにそんな機能はないし、当時からハコモノ以上の内容が存在しなかったから凍結されたのである。しかし、このタイミングでの話題は、自民はサブカルチャーを守ってくれる、というエピソードを作り上げたのは、山田太郎の投票に少なからずつながったはずである。

色々書き散らしたが、民主主義(多数)が絶対的な正義ではない、ということを言いたいのである。そして、憲法が権力を抑制する日本国憲法による立憲主義というものがある、ということも知ってほしいのだ。現状、日本国憲法こそが「表現の自由」を約束してくれる唯一のものである。

2019-07-30