129)権力に寄り添うアート
まず、アート界のことも、また美学も知らない。でも、アートは、常に反権力・反権威を掲げているのだと思っていた。それが根幹からぶっ壊された。いや、本当は気がついていたし、今までもそういうことをブログに書いてきた。権力を傘に着ていばり散らすやつばかりでうんざりだ。
東浩紀が率いるゲンロンスクールで、ティーチングアシスタントを務める女性が勇気ある告発をした。次のリンクで全文を読むことができる。「黒瀬陽平と合同会社カオスラによるハラスメントについて」。端的にいえば、カオスラの黒瀬が立場を利用して、女性スタッフに性的関係を強要した、というものだ。女性は仕事的にも性的にも搾取されていたことになる。反吐が出るような話だが、悲しいかな、これは氷山の一角である。立場を利用して性的関係を迫る、というのは決して珍しいことではない。
カオスラとは、カオス*ラウンジの略称で、梅沢和木、黒瀬陽平、藤城嘘の三人からなる、サブカルチャーをテーマにしたアート集団だ。詳細はネットで検索してもらえば分かるが、単なるお騒がせ集団である。お騒がせ集団といっても、2011年に岡本太郎の壁画「明日の神話」に福島第一原発事故を想起させる絵を追加したChim↑Pomのようなメッセージ性は一切感じないし、そもそも無いのだろう。
では、なぜそんなお騒がせ集団がこんなに力を持っているのか。それは、村上隆や東浩紀に目をかけられたから、というだけである。つまり、カオスラは、著名人に評価された、という事実のただ一点が評価点なっている。東、村上による評価は、日本のアートや批評の世界では非常に強力で、『美術手帖』『ユリイカ』『ゲンロン』といった有名な雑誌に寄稿できるほどである。
だとすれば、 アートか否かを決定するのは、作品でも作家でも鑑賞者でもなく、キュレーターや批評家ということになってしまう。なにを今更そんなことを、と自分でも思うが、結局のところ、金を生み出せるかどうかでアート界での価値や地位が決まるのだろう。近年、アート界でサブカルが持て囃されているのも、サブカル自体が権威をもちはじめ、また金を引っ張れるからではないだろか。つまり、キュレーターが見ているのは、作品ではなく、そこに潜む権力と金なのだ。そこにつけ込み、すり寄ってきたのが黒瀬らカオスラである。
学生のとき、美術に関する科目のレポートで、「アートはすべてビジネスです」という所見を可の評価と共に貰ったことがある。なに言ってんだ、と思った。問題はアートがビジネスか否かではなく、認識に違いがあるということだ。すなわち、アートをビジネスとして見るものとアートを表現として見るもの、それぞれが同じ場に存在しているのだ。そこに価値観の大きな溝があり、一方がその価値観を他者に押し付けるというのはおかしいことだ。
2020-08-05