106)影は必要な表現か
JAなんすんのポスターのデザインが問題になっている。そのデザインとは、アニメ『ラブライブ!』のキャラクターが手にみかんを持っている、というものだ。問題は、そのキャラクターのスカートが透けて下着にみえるよう、臀部に影が書き込まれていたことである。類似した問題として、2019年末に日本赤十字の『宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターがある。こちらは胸を性的に強調していたというものだ。これらは、公共の場にふさわしくないのではないか、との抗議を受けて撤去、変更された。
「スカートの影」について経験に基づいて意見をいうならば、これは故意であろう。少なくとも00年代では、明らかに性的な表現、たとえば、明確に女性器、あるいは性交と思われる場面の描写でも、「※ただの〇〇です」「これは〇〇だからセーフ」といって、ごまかしてきた歴史がある。従来これは、閉じられた世界での話であったから問題にならなかったが、それが今回、公共の場で披露されてしまったわけである。「ただの影だからセーフ!」という言い訳はかなり苦しいだろう。
困ったことに、オタク連中は意見をした人たちに、文句をいったり嫌がらせをしたりしている。なんでも、表現の自由の侵害をしたからだそうだ。エロの表現は守るが、意見や思想といった基本的人権に関わる表現は気に食わないので、規制するのだ。というよりも意見もまた表現である、ということにまるで気がついていないのだろう。その一方で、自分たちには表現の自由がある。何を発言してもよいのだ、とも考えている。
そして何よりも、今回の撤去・変更は、国家権力の介入によってなされた訳ではない、という事実が重要である。すなわち、ろくでなし子の「女性器アート」や鷹野隆大の「平成の腰巻き事件」とは決定的に異なっている。ろくでなし子らは、ゾーニングがなされていたにも関わらず、国家権力が刑法175条「わいせつ物頒布等の罪」をひっさげて介入したケースである。しかし、今回はそうではない。あくまでも個人の一意見である。影は表現上必要である、と思うのであれば、会田誠のように正々堂々と戦えばよいことだ。
2020-02-20