42)色聴と記憶
Twitterで定期的に次のような話題が流れてきます。ある音を聞くとある特定の色彩が現れる、というものです。簡単に説明すると、聴覚で知覚したものが、視覚や味覚などの情報も付随して知覚される現象です。つまり異なる知覚同士が紐帯されたものです。一般的に通様相性現象、共感覚と呼ばれており、特に音に色彩が現れることを〈色聴〉と呼びます。色聴は単音のみならず、和音や調までがその対象となっています。
色聴の現象を説明するのに、幹音(白鍵盤)のド〜シを可視光線(700-400nm)に当てはめて、物理現象だと結論づけるサイトがあります。しかし、それはありえないと断言します。というのも、“もし”音波が可視光線として知覚できるのであれば、可視光線と音波の間にある、紫外線や電波も色彩として現れる必要があるからです。また、なぜドの波長は長く、シの波長が短いかの説明もなされていません。前述の理論を真とするならば、シ→ドの二度上行も波長はインクリメンタルであるべきです。
大学の授業中で色聴の話題がでて、その場でアンケートが取られたことがあります。その時に多かったのが、前述した幹音と分光分布が照応した色聴でした。詳細に調べてみると、彼らにはある共通点があることを発見します。それは、子供の頃に「音楽教室に通っていた」という事実です。
音楽教室では、ピアノの鍵盤と音名を対応させるため、ド〜シまでの色付きのシールを鍵盤を貼ることがあるようです。そしてそのシールは、音名が分光分布に基づいてデザインされていたのです。つまり、その場で色聴を持った人は、音と子供の頃の記憶が関連付けられていたと見て良いでしょう。(「次は緑(ファ)の鍵盤押してね」と、色で鍵盤や運指を指定できるので、音名シールは賢いグッズだと思います。)
以上から、〈色聴〉はある音や調が、ある〈記憶〉と紐帯されたもの、と考えています。つまり、聴覚と視覚が結びついたとは考えていません(現状では)。また別の機会に述べますが、絶対音感/相対音感も〈記憶〉との相互参照であり、本質は同じだと考えています。
2018-09-27