楳図かずお(1936-)と言えば、『漂流教室』『わたしは真悟』『まことちゃん』などを代表作とする有名な漫画家である。そして、漫画家以外にも映画監督やタレントなど、様々な顔を持っている。そんな中から今回取り上げるのは、ミュージシャンとしての楳図かずおである。
楳図は、1975年に自ら作詩・作曲、歌唱を行なったLP『闇のアルバム』を発表した。これは、楳図の音楽活動の一つの到達点と言えるだろう。高橋(2015)『楳図かずお論』〔註1〕によれば、その他、郷ひろみ、近田春夫への歌詩の提供、様々なバンド活動など、音楽活動を盛んに行なっている。2011年には『闇のアルバム』の続編である『闇のアルバム2』も発表された。ただし、音楽に向ける楳図の熱意はLPを発表した1975年突然に始まった訳ではない。その片鱗は、高校二年の時に描き上げ、1955年9月に出版された単独デビュー作である『別世界』の中に既に楽譜として現れていたのである。
本論は『別世界』に現れる楽譜を音楽的に分析するものである。それはどのような楽譜であるか、また楽譜に書かれた楽曲はどのようなものであるのか。そして、楽譜は漫画の表現上どのような意味や効果を持っているのか、それらを考察していきたい。
『別世界』は、原始社会の部族の争いをテーマに地球人類の起源をファンタジックに描いた長編SFであるが、作中の五つの場面で楽譜が現れる。図1-5である。楽譜が登場する漫画作品は後述するように他にもあるが、この『別世界』に登場する楽譜はなんとオリジナルの楽曲によるものである。この様な試みは、漫画が音楽や音声を直接持たないメディアであるせいもあって、2017年現在においても他に類を見ないのではないだろうか。
なお題材の特性上、音楽の専門用語を使用するが、それらは巻末注としてまとめたので参照して欲しい。また、私のホームページ(https://psipsina.jp/column/thesis/umezu_betsusekai.html)にて楽譜の楽曲を公開しておくので、是非聞いて参考にして欲しい。
漫画作品に登場する楽譜たち
『別世界』の楽譜の特性を知るためにも、まずは他の漫画作品に登場するいくつか楽譜を見ておこう。楽譜が登場する漫画として、今回は、二ノ宮知子、手塚治虫、古屋兎丸、楳図かずおの漫画に登場する楽譜を選り抜いた。
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(2001-2010)はクラシック音楽をテーマにした漫画である。従って楽譜の登場回数はかなり多いだろう。そして楽譜は「楽譜そのもの」として登場している(図6)。音の表現として楽譜を用いていない点で、後述の三つとは決定的に異なっている。なお登場する楽譜は、市販されている楽譜をおそらくコピーして使っているのであろう。
手塚治虫『ブラックジャック』(1973-1983)より「音楽のある風景」(1977)では、ザ・ビートルズ《Let It Be》の楽譜が歌詞と共に描かれている(図7)。これは、楽譜によって音が表現されているのである。そして、一見すると楽譜として成立している様に見える。実はこの楽譜は《Let It Be》とは全く関係のない音符が無造作に並べられているだけである。これは、画面の飾りとしての楽譜であり、音高やリズムは記されているものの、そこに音楽的表現は存在しないのである。図7の楽譜を実際に演奏してみるとメロディーとして成立して聞こえなくもない。伴俊男が書いた手塚治虫の伝記漫画『手塚治虫物語--オサムシ登場』の中で、手塚はピアノ演奏を得意としている。また、聞いた音楽を音名で書き記していることからも、楽譜の読み書きは当然できたであろう〔註2〕。しかし、いずれにしても《Let It Be》のメロディーではない。なお、同話にはモーツァルト《レクイエム》の楽譜も登場するが、やはり楽譜としての機能は持っていない。
古屋兎丸『帝一の國』(2010-2016)では、主人公の帝一がピアノを弾くシーンと共に十六分音符が装飾的な曲線で描かれている(図8)。楽譜をよく見ると音符は正しく配置されていて、ショパン《幻想即興曲》であることがわかり、楽譜としての機能を持っている。この演奏を聞いた妹が「にいにが激しい曲を弾くなんてめずらしいわね〔註3〕」と言っているように、装飾的に描かれた曲線の楽譜は激しい曲を弾いている演奏態度をも伝えている。
楳図かずお『半魚人』(1965)では、ハーモニカで滝廉太郎《荒城の月》を演奏するシーンがある(図9)。一見すると手塚と同じようだが、前述の三つの例の中では機能として古屋と同じく音楽的に機能する楽譜としてしっかり描かれている。「春高楼の花の宴」という一節も綺麗に収まっている。ただし、古屋の例と違って、演奏の態度まで表現している訳ではないだろう。
漫画に楽譜が登場する例を四つ見た。それぞれは共通する点として、既存曲であること、そして特に後者は劇中に演奏されて流れている曲であることが挙げられるだろう。それでは『別世界』の楽譜はどうであろうか。
楽譜の分析
『別世界』の作中五つの場面で現れる楽譜を音楽的に分析し、そして表現の効果を考察する。楽曲は曲長やその効果から、BGM(Background Music)〔註4〕、ME(Music Effect)〔註5〕、SE(Sound Effect)〔註6〕と三つに分類できるだろう。理解を深めるためにもこれらの分類も考察しよう。
なお分析にあたっては、コマ中の楽譜を見やすく新たに書き起こした。現代の記譜法とは多少異なる箇所もあるが、間違いとは言えないので、当時の記譜法や作者の意向として尊重した。五つ共いい加減な所のない、正しい楽譜である。
譜例1が載っている56頁は、夜の砂漠のシーンである。調号は♭が二つ付いており、3小節目の終止音がソ音であることから、この曲はト短調〔註7〕と判断できるだろう。拍子は楽譜に書かれているとおり3/4拍子と明記されている。1小節目より前から始まる弱起による旋律は、順次進行〔註8〕を主としたもので、主音(ソ)〔註9〕に向かって静かに下行している。なお、音符の上に「3」と数字が書かれているが、これは3連符と呼ばれるもので、ある音符の長さを三等分したものだ。今回の場合は四分音符を八分音符に三等分している。さて、五線譜の下にも数字が書かれているのに気がついたと思う。詳細は後述するが、ハーモニカで演奏するための、数字を使った楽譜である。
作品の中での効果を考察しよう。楽譜が登場するコマには「砂漠に日が落ちて夜となる頃」という、吹き出しで囲まれたナレーションがある。これは前ページ(55頁)の昼に対照するシーンであり、「メクリ」による転換を表しているのではと考えられる。私の解釈としては、この下行する旋律はまさに太陽の動きのようである。そして、終止音のみが3度下行で達する様は、まさに「日は落ちて」を表現していると思われる。場面転換や一つの区切りで流れる短い音楽であるから、この曲はMEと言えるだろう
譜例2が載っている72頁は、真昼の砂漠を必死に歩くシーンである。調号は♭が二つ付いており譜例1と同じだが、こちらは終止音がシ♭音であることから変ロ長調と判断できるだろう。拍子は書かれてないが、小節線の引き方から3/4拍子と想定されるだろう。一聴すると単調そうな曲に思えるが、リディア旋法〔註10〕による短い動機(モティーフ)を、繰り返すことで、独特の響をかもしだしている。また、最終小節に終止線が書かれていない点も興味深い。最終小節のみ頭拍に四分休符がついてないが、これは後述しよう。
私の解釈を述べよう。短い動機の繰り返しは、音の変化が少なく、無味乾燥な印象を受ける。だが、それはその「果てしない乾いた砂漠」を彷彿とさせるための表現方法だと考えられる。終わりを示す終止線が書かれていないのも、「果てがない」と解釈できる。従って劇中では、延々と繰り返し演奏されうるBGMだと解釈できるだろう。なお、ハーモニカのための数字譜は1小節目にしか書かれていないが、同じ音型が続く2小節目以降は省略したものである。
動機を繰り返す反復の技法は、スティーブ・ライヒに代表されるようなミニマル・ミュージック(以下、ミニマル)〔註11〕を思わせる。ただし、このミニマルが流行したのは1960年代からである。楳図がこの曲を作曲した時期には当然ミニマルという概念はない。それにも拘わらず動機を反復する音楽で表現したことは時代の先取りであり、驚きを覚える他はないだろう。ミニマルの特徴は反復と共に差異を生じさせる所にあるが、先に触れた最終小節でのわずかな変化もまた、ミニマルの特徴である。こうした驚くべき着想はどこから来たのか楳図にインタビューしてみたいものだ。
譜例3が載っている88頁は、恐竜に遭遇するシーンである。調号は書かれておらず、ハ長調かイ短調とも考えられるが、むしろ無調と判断すべきだろう。なぜなら、曲は短く、4度堆積の和音による上行の半音音階のみで構成されているからである。4度堆積とは、一音目はラとレで、二音目がシ♭とミ♭という風に、楽譜上で四音(4度)の間隔で音が積まれた和音の関係である。上行の半音音階とは、下の音で言うとラ、シ♭、シ♮、ドという進行である。従って、調が確立しているとは言えず、無調と判断できるのである。拍子は曲が短いために設定されていない。また、この楽譜では新しく音楽記号のフェルマータ〔註12〕が登場する。フェルマータには「終止」を表したり、「停止する」を表したりする記号である。実際の演奏では、指定された音符の音価を倍近くまで伸ばすことが多い。譜例3で言えば、八分音符を四分音符程度まで伸ばすのである。
なお、4度堆積の和音は、古典的なクラシックでは不協和音として扱われるが、ジャズではホーンセクションが和音をインパクトのある響で演奏するときに用いられている〔註一三〕。これは後述するように、楳図が演奏をするピアノがジャズっぽいと言われたことと無関係ではないだろう。
この場合、どのような効果を持っているかを考察しよう。コマには、恐竜の顔と同時に、擬音が力強く「ググググ」と書かれている。この擬音と音楽は同期していると考えるのが自然である。四つ目の文字が他と少し離れているのも、音符の並びと対応している。このことからこの楽譜は恐竜出現のSEとしての役割を担っていると考えられる。
さて、ここまででBGM、ME、SEの三つが揃った。場面の背景として長いBGM、場面の転換として短いME、そして印象付けのためのSEである。つまり、楳図はそれぞれを場面によって長い曲や短い曲、そして効果音を使い分け、バリエーションに富んだ音楽を使用していたことが分かった
譜例4が載っている95頁は、煙の正体が火山の煙だと知ったシーンである。譜例3と同じく調号は書かれていないが、ハ長調と判断できるだろう。なぜならド-ドの音が、CmM7コード(ドミ♭ソシ)の分散和音として旋律をとっているからである。分散和音とは、和音が同時にではなく継起的に展開され旋律を奏でるものである。拍子は小節線が引かれておらず設定されていない。これまでの楽譜と異なる点として、音部記号にヘ音記号が使われている点が挙げられる。ヘ音記号とは、低音楽器のために使われる音部記号で、記号の丸の位置がヘ音(ファ)を示している。また、この楽譜では新しく発想記号「ぶきみに」と、小さな音符である装飾音符〔註14〕のミ♭音が使われている。八分音符にスラッシュが入れられた装飾音符は、目的の音の前にごく短い音を挿入するもので、ジャズピアノで良く使われている技法である。終止音についているフェルマータについては、譜例3で述べた通りである。
さて、この曲はどのような構造を持っているのだろうか。響く低音で跳躍下行する旋律にはある仕掛けが施されている。それは装飾音符のミ♭音である。通常、ハ長調であればミ音が使われるが、ここでは敢えてミ♭音を使っている。実はこのミ♭音は、ジャズやブルースで好んで使われるブルー・ノート〔註15〕と呼ばれる不安定な音なのである。この不安定なミ♭音と、そして低音を響かせることで、大きな火口が響く音を表現しているのではないだろうか。
金子デメリンが書いた楳図の伝記漫画『ウメズモー楳図かずお物語』の中で、楳図はピアノで弾いた童謡を友人に「ジャズっぽい」と言われていたが(図10)、それはブルー・ノートや前述した装飾音符、譜例3で見た4度堆積の和音を使った演奏を友人が聞いたからでないだろうか。
譜例5が載っている96頁は、主人公のリバー少年たちがとうとうバビア国に入ったシーンである。調号はついていないが、終止和音がCコード(ドミソ)であることから、ハ長調と判断できる。拍子は2/4拍子と明記されてある。速度が「はやいめに」と指定されているが、これは速度記号のAllegroと同等程度だと考えられるだろう。また、大譜表と呼ばれる、ピアノのような音域の広い楽器のための二段で構成された楽譜が使われているのが最も大きな特徴である。また、終止和音の上段には波線のアルペッジョ記号が書かれている。大譜表とアルペッジョ記号については後述しよう。
この譜例5は、五例の中で最もコンテンポラリーな構造をしている。実は下段と上段とでそれぞれ別の和音が設定されている箇所がある。特に2小節目では明らかに左手でG7コード(ファとソだけの省略形)を、右手でCコードの分散和音を同時的に演奏している。これは19世紀後半から使われるようになった「複和音〔註16〕」と呼ばれる難しい技法である。従って、2小節目の和音は[C/G7]と分数的に表記できるだろう。なお、1小節目から小節ごとに和音名をつけると、[ G7sus4 | C/G7 | G(7)sus4 | C ]となる。複和音はラヴェル《水の戯れ》(1901)やストラヴィンスキー《春の祭典》(一九一三)、そしてジャズなどで用いられたものである。
この音楽はこの場面にどのような効果があるのだろうか。物語上では、バビアへの入国は佳境への入り口であり、終末へと向かう重要なポイントである。軽快だが、終わりや始まりを予感させる音楽であり、完全終止〔註17〕が設定されている。これは一つの区切りを感じさせることからMEとしての機能が強いだろう。
そもそも、譜例5のようなクラシカルだが現代的な楽曲は、『ドラゴンクエスト』(1986)のすぎやまこういちや、『ウィザードリィ』(1987)の羽田健太郎などに代表されるビデオゲームで実現された音楽である〔註18〕。そして、ファミコンが発売する30年以上も前に、楳図が自分の漫画の中でそのような音楽を作って使っていたことには感嘆する他ないだろう。
想定された楽器について
『別世界』の楽譜は、楳図の音楽的素養の豊かさや正しさを表すものであるが、同時に、これを演奏し、聞いて貰いたいからこそ、楳図は数字譜や発想・演奏・速度記号などを明記したのであろう。実際に演奏して音を聞くことで、より『別世界』を、そして楳図ワールドを楽しめるのではないだろうか。というわけで、これらの音楽に想定された楽器は何であるのかを考察していこう。
譜例1・2・5の三つは比較的明白である。まず、譜例1と譜例2にはある共通点がある。五線譜の下部に書かれた数字である。この数字は、1-7をド-シに当てはめる数字譜と呼ばれる、主にハーモニカや大正琴に用いられるものだ。『ウメズモー楳図かずお物語』の中で、楳図は複数の楽器を一人で演奏する「ひとりバンド」にてハーモニカを吹いていることが分かる(図11)。従って、ハーモニカのための楽譜と考えるのが自然だろう。
次に譜例5であるが、これは大譜表またはピアノ譜と呼ばれる、上下二段で構成された楽譜で、ピアノやハープなど音域が広い楽器のために用いられることが多い〔註19〕。今回の場合は上段の最後の和音に、和音の発音を少しズラして演奏するアルペッジョ記号〔註20〕が付けられている。このことからも、ピアノと考えて良いだろう。
譜例1・2はハーモニカ、譜例5はピアノだと限定できたが、譜例3と譜例4は、様々な楽器が想定可能である。もちろん、それぞれをピアノで演奏しても良いだろう。しかし、もし私が劇伴として楽器を選定するならば、譜例3は力強い音を表現するために金管楽器とコントラバスで、譜例4はヘ音記号を用いた低く不安定な音を表現するために、チェロやコントラバスなどの弦楽器で演奏したいものだ。
これらの音は、前述した私のホームページ(https://hkmc.jp/column/umezu)で、私が作成した参考音源を聞くことができる、是非ともその音楽に触れて欲しい。
楽譜の分析結果
以上、五つの場面で現れる楽譜を分析してきた。まずは音楽的にまとめよう。楽譜が極めて正確であり、正しい音楽的知識に基づいて記されていることが確認できた。どの楽譜にも共通する点として、小品ながら、型にはまらない挑戦的かつ実験的・前衛的な楽曲であることが挙げられる。楳図はオリジナリティを大切にする漫画家であるが〔註21〕、それは音楽という表現においても全くの同様であった。楳図はミニマル・ミュージックの発明(!)やクラシックとジャズの融合(複和音の使用)など、時代の先端を行っていた。あるいは、時代を超越していた。
次に、漫画的への効果についてまとめよう。譜例1では「メクリ」を利用した昼から夜への転換としての効果が、譜例2では同じ音形で果てしない砂漠への「ヒキ」としての効果が、譜例3では恐竜の登場音としてSE的な効果が、譜例4では火口から出る煙のその不気味さを表す効果が、譜例5ではバビアへ入国し物語は佳境に入る一つの区切りの効果が、それぞれの楽譜にはあった。劇的、効果的な演出が試みられている。
最後に、漫画と音楽の融合という面についてまとめてみよう。他の漫画作品に登場する楽譜は、劇中で流れ、登場人物がそれを聞く劇中曲であった。しかし『別世界』に登場する楽譜は、劇中ではなく読者という外の世界に向けたものなのである。これは映画やドラマなどの映像作品で使われる劇伴そのものであり、楽器を想定しながら漫画でこれを実現しようと挑戦した楳図のオリジナリティの真髄をここに見ることができるだろう。
楳図かずおと音楽修行
『完全復刻版 別世界・幽霊を呼ぶ少女』の付録冊子や、自身の体験を記した自著『恐怖への招待』のインタビューによると、楳図は高校二年の時に『別世界』を描き上げたが、なかなか出版されない事から、デビュー迄の間は一時的に漫画を描くのをやめている〔註21〕。その間はコーラス部に入り、向かいの家でピアノ伴奏の歌を歌ったり、学校でピアノを練習したり、音楽修行に熱中する様になったと言われていた。そうすると『別世界』を執筆していた当時はまだ音楽修行に熱中していなかった時期となるのだろうか。高校三年当時の楳図がどの程度音楽に熱中していたのかは分からない。だが、『別世界』に現れた音楽の完成度の高さから、高校二年生の時点で音楽的素養がかなり高かったことが伺えた。楳図は実は早い時期から、音楽に相当熱中していたはずである。楽譜は具体的な楽器の想定がされ、また実演されるべき劇伴として書かれていた。素養のみならず、発想、独創性、実現力ともに相当の能力を既に持っていた。もし仮に楳図が漫画家にならなかったとしても、私たちは作曲家として楳図かずおという名前を知っているだろう。
参考資料
- 楳図かずお『完全復刻版 別世界・幽霊を呼ぶ少女』小学館クリエイティブ、2006年
- 楳図かずお『恐怖への招待』河出書房新社、1996年
- 楳図かずお『楳図かずおの恐怖文庫 13 怪物』朝日ソノラマ、1996年、90-91頁
- 金子デメリン『ウメズモー楳図かずお物語』『完全復刻版 別世界・幽霊を呼ぶ少女読本より』小学館クリエイティブ、2006年
- 高橋明彦『楳図かずお論 マンガ表現と想像力の恐怖』青弓社、2015年
- 手塚治虫『新装版 ブラックジャック 11』秋田書店、2005年、185頁
- 二ノ宮知子『のだめカンタービレ 1』講談社、2002年、12頁
- 伴俊男、手塚プロダクション『手塚治虫物語--オサムシ登場』朝日新聞社、1992年、209頁
- 古屋兎丸『帝一の國 1』集英社、2011年、37頁
巻末注
- 高橋明彦『楳図かずお論 マンガ表現と想像力の恐怖』青弓社、2015年、511-489頁
- 伴俊男、手塚プロダクション『手塚治虫物語--オサムシ登場』朝日新聞社1992年、209頁
- 古屋兎丸『帝一の國 1』集英社、2011年、39頁
- 背景音楽。ドラマや映画のシーンに合わせて楽曲がループし演奏され続ける。
- ジングルとも。短い楽曲で、区切りの時に演奏される。連続して演奏はされない。
- 効果音。演出のためにつけられる環境音や短い楽曲。譜例3では記号的に使われている。
- 旋律や和音が、主音(中心音)や属音(第5度音)と関連づけられたものを調という。明るく感じる長調と、暗く感じる短調がある。例えば幹音(ピアノの白鍵盤に相当)の場合、ド-シの音階や、ソシレファの和音はハ長調であるし、ラ-ソ(#)の音階や、ミソ(#)シレの和音はイ短調である。
- 隣接する音(2度)に進行すること。
- その調で最も基本となる音。ト短調ならソの音、ハ長調ならドの音。第1度音とも。
- 教会旋法の一つで、長音階の第四音から始まる音階(譜例6)。譜例2ではミ♭から始まるリディア旋法である。フォーレの歌曲《Lydia》(1872)はリディア旋法の好例だろう(譜例7)。教会旋法はグレゴリオ聖で用いられた。教会旋法は長・短音階とは異なる独特な雰囲気や響を持つもので、現在ではクラシック、ポピュラー共に使われている。特にジャズでは、コードごとに教会旋法を使い分ける「コード・スケール」という技法が一般的に用いられている。楳図がリディア旋法というものを自覚して使っていたかは分からないが、教会旋法は身近な存在であり、その音楽的素養の高さから耳で判断して使っていた可能性は十分にあるだろう。
- 現代音楽の一つで、最小限の音の動きを反復させることで構成する。1960年代にアメリカで発生し、世界的に流行した。
- 時代によって解釈が異なるが、一般的には終止や停止の意味。
- ポピュラー音楽と、古典的なクラシック音楽での4度の取り扱い例を示す(譜例8-9)。二つの譜例の4度の解釈こそ異なるものの、ポピュラーでもクラシックでも共に使われ、特有の効果を持っている。楳図は明らかにこの4度を意識的に使っている。
- 音を付け加えたり揺らしたりするなどして、音に飾りをつけて演奏すること。実際にどう演奏するかは奏者に委ねられることが多い。
- ジャズやブルースで用いられる音階(スケール)。それぞれ第3、5、7音の半音下げた音を追加する。次の譜例はハ長調の音階にブルー・ノート使ったものである(譜例10)。これを使うとハ長調かハ短調かの決定が難しくなる。また、ブルー・ノート・スケールを使うと途端にジャズっぽくなる(譜例11-12)。
- 複和音の使用例を示す(譜例13)。ピアノで左手はF#コードを、右手はCコードを分散和音で演奏している。一見すると交互にコードを演奏しているように見えるが、左下にlied.と書いてある。lied.は、演奏した音を持続させるサスティンペダルを踏めという記号である。ペダルを踏むことによって、二つの和音が同時に響くようになる。
- 終止部において属和音から主和音に解決すること。メロディーが主音で終わる場合に完全終止という。
- すぎやまこういちや羽田が同時発音数が三音であるファミコンのliSG音源で、クラシックの声部書法を用いることで厚みのある音楽を作ったことは、当時では画期的であった。楳図が音楽の道に進んでいれば、すぎやま的なポジションにいたかもしれない。
- 本来なら四つの譜表が必要な弦楽四重奏を、一つの大譜表としてまとめる場合もある(譜例14)。なお、総譜の実例は図6を参照されたい。
- 演奏記号。アルペジオとも呼び、一つの和音をズラして演奏する(譜例15)。前述の分散和音もアルペジオというが、こちらは演奏記号であることに注意が必要である。演奏記号とは演奏者が様式や雰囲気から独自に解釈して演奏するものである。なお、ハープの場合は元からズラして演奏するため、このアルペッジョ記号は基本的に不要である。
- 楳図かずお『恐怖への招待』河出書房新社、1996年、207頁
- 楳図かずお『恐怖への招待』河出書房新社、1996年、176頁
譜例
初出『ビランジ』40号、2017年、26-38頁