私の音環境
音環境は、自分がよいと感じても、他者には不満・不快に感じられる場合がある。先にあげた保育園の例がまさにそうであろう。ある人は子供の声は騒音と捉える、しかし、別の人は、元気な子供の声が好きなので全く不快ではない、という場合が考えられる。だとすれば、改善と改悪は表裏一体と考えられる。それでは、私の経験を元にして、音環境の改善と改悪を見てみよう。
鳥のさえずり
2013年中頃のことである。私の家に隣接していた民家が取り壊され、そこに公園が設置された。また、同じ時期にやはり隣接していた5階建てのビルも立て直しの為に取り壊された。家に隣接した建物二つが両方一変に無くなってしまったのだ。これによって、私の音環境は大きく変化してしまった。
さて、公園が設置された事によって、早朝に鳥が集まるようになったのである。これは公園ができる前には観測出なかった事象である。今では鳥のさえずりが朝の合図となっている。そのかわいらしい鳥のさえずりを気に入っているが、隣人にはどうもそうではないらしい。なんでも、鳥の鳴き声がうるさくて仕方がないらしいのだ。というのもその隣人は、朝はゆっくりと寝ていたいのである。私は、美しい鳥のさえずりである、と思っていても、隣人からすればそれは単なる鳴き声であり、睡眠を妨害するノイズ以外のなにものでもないのだ。
来客ベル
10代の頃、私はとあるカレー屋でアルバイトをしていた。私が働いていた店舗は奥に細長い形状をしており、カウンターのみの小型店であった。店舗のドアは手押し式で、ドアの内側上部に大きなベルが付けられていた。ドアが開くと、「カラン、カラン」とベルが店内に鳴り響く仕組みである。従業員は、その合図をもって来店を判断して、「いやっしゃいませ」と声を出す。常にドアを見ている訳にはいかない従業員にとって、このベルは非常に便利な音であり、作業しながら来店が分かる優れものである。
ある日、お客さんから「ベルの音がうるさい」、「ゆっくりとカレーを食べたい」とうクレームが出てしまった。従業員の視点からは非常に便利なその音も、お客さんからすれば、食事を邪魔するただの騒音に過ぎなかったのであった。このクレームをもってベルを撤去する事になったが、今度は「いつになったら注文聞きに来るのか」というクレームがでてしまった。仕方ないので、べルの内部を加工して、あまり響かないようにした。
音との共存
以上、二つの音環境の例をみてきた。自分にとって音環境が改善されたと思っても、他者から見れば改悪であった、ということが起こり得ることが分かった。音環境は公共的な領域というよりも、個人的な領域に属していると考えられるだろう。音には、メリットとデメリットが存在する。このメリットとデメリットをしっかりと考え、音や他人と対立するのではなく、共存していく方法を模索しなければならない。
金沢の音風景
ここまで、私的な音環境を見てきた。つぎは、市街地といった公共の場の音風景、つまりサウンドスケープを見て(聞いて)みよう。サウンドスケープ(soundscape)とは、そのまま音の風景と訳せるが、聞くのは物理的な音だけでない。聞こえてくる音を、文化や環境といった面から再度検討しよう、というものである。
筆者が住んでいる石川県金沢市は、金沢城を中心とした城下町である。金沢は戦火を免れた事もあり古い街並みが残ってる。しかし、近代化の波で古い建物は取り壊され、新旧折衷の街へと変わってしまった。その新旧入り混じる城下町金沢ではどの様な音風景があるのだろうか。
北陸最大の繁華街
金沢市は、放射線状に街が発展している。その中心にあるのは、金沢城址である。金沢城の傍には、北陸最大の繁華街と言われてる片町と竪町商店街がある。そして、名勝兼六園や21世紀美術館といった観光地である。順にみていこう。
竪町商店街は90年代には、栄華を極め、北陸三県から若者が集まる、まさに若者の町であった。しかし、00年代に入ると状況は一転する。金沢駅周辺の再開発が始まったのだ。駅前の発展が始まると、竪町商店街から人が徐々に減っていった。そして2013年現在では閑散とした商店街で、さながらゴーストタウンである。そんな人の少ない通りから聞こえてくるのは、大量のスピーカーから発せられるBGMである。
竪町商店街で流されるBGMには種類がある。昼は元気の良いポップスだが、夕方以降はジャズやクラシックといった少し静かな曲が流されているのだ。BGMは、雑踏の中で賑やかさを演出するといった効果を狙っているのだろう。竪町商店街のスピーカーは、景観を意識してポールに組み込んである。それぞれのスピーカーから別々の音が聞こえるスーパーオーディオCDと呼ばれるものを使っているようだ。商店街の端から端までに大量のスピーカーを設置して、立体的な音響環境を作る環境が用意されているが、活用できていない印象をうける。閑散とした商店街では、元気の良いBGMも虚しく響くだけである。
兼六園と金沢城跡
そんな竪町から5分歩くと、名勝兼六園にたどり着く。兼六園は、人が多く、売店やツアーガイドから活気が伝わってくる。さて、兼六園には日本最古の噴水がある。この噴水は動力を使わずに高低差を利用する位置エネルギーを用いているのが特徴である。3.5mまで吹き上がった水が、水面に叩きつけられる「バチバチッ」という音が兼六園に響き渡る。噴水という人工物から発せられた、水が叩きつけられる自然の音は、人工から自然を作りだす、創造的で印象的な音であった。
兼六園から石川門という橋を渡るとそこには金沢城跡がある。残念ながら金沢城は焼失しており、現在は広場となっている。しかし、観光向けに新しく作った城の再現施設があり、そこは観光客で溢れ返っている。そこから更に奥へと進むと、雑木林や旧日本軍の施設などがあった場所にたどり着く。そこでは、都会の音や、観光客の話声すら聞こえなくなる。風のざわめきや、虫の鳴き声、木の軋む音など、自然を媒体とした音が聞こえる。しかし、現在は金沢新幹線の開通に合わせた施設を作る為に大規模な工事を行っている。揺らぎのある自然の音の向こうから、一定の律動を持った人工的な音が遠く鳴り響いている。これは、人工の音と自然音の融合であるが、兼六園の噴水とは対照的に、自然の中に人工が侵食してくる破壊的な印象を受けた音であった。
梵鐘の鳴り響く町
時刻を知らせる合図の一つとして鐘があげられる。そして、それが設置してあるのは教会や寺院である。片町から南に10分程度歩くと、寺町と呼ばれる地区にたどり着く。寺町という名前が示す通り、寺院が密集しており、一帯を寺町寺院群と呼ぶ。
毎朝夕6時になると、梵鐘が様々な方向から鳴り響く。誰でも撞ける鐘もあり、観光客が時間に拘らずに鐘を撞く光景も見られる。梵鐘の音は大きいが、低く、ゆっくりと鳴り響く。冬の寒い日では、私の家にまで梵鐘の音が微かに届いている気もする。
鐘の音は、単に時刻を知らせるだけではないだろう。過去に、日本人のコミュニケーションの場が寺町寺院群にあった、という事を思い出させてくれる音でもある。観光客が時間を気にせずに鐘を撞く、金沢にはこの様に寺院が集合した場所が他にいくつかある。江戸時代に一向一揆に備え、寺院群を形成したと言い伝えられている。
謡が振る町
兼六園から東に15分程度歩くと、東山ひがし(通称:ひがし茶屋街)と呼ばれる観光地にたどり着く。ひがし茶屋街の外れには、主計町(かずえまち)と呼ばれる小さな町屋が並んだ路地がある。その主計町を歩いていると、どこからともなく三味線や謡の音色が聞こえてくる。路地に響くその謡は、芸妓(げいぎ)たちが修行する稽古の音であった。稽古は主計町事務所の二階で行われているようだ。金沢には「空から謡が降ってくる」という古い言葉あるが、現在の東山もそれに外れてはいないだろう。
さて、主計町に響く芸妓の音が現在危機に瀕している。というのも、昭和33年に赤線が廃止されたのに伴って芸妓が激減したためである。その後もどうにか運営していたが、そこに少子高齢化の煽りを受けしまい、後継者となる人材がなかなか見つからなくなったようである。近年では、芸妓の卵が見つかるだけで地方ニュースを飾り、市長に挨拶に行くほどである。もし、芸妓がいなくなり、稽古の音がなくなれば、主計町の音風景はがらりと変わるだろう。そうなった時に三味線の音を出して再現しても、音が本来持っていたはずの意味は失われたままなのである。
金沢の音
金沢は雑踏の中でも、少し歩けば簡単に自然の音に迷い混む事ができる町だ。そこで聞こえてくる一つの音もよく聞いてみると、単なる物理現象を超えて、環境や歴史、そして文化などから聞こえて(見えて)くるだろう。このように、物理的な音から始まり、音を構成する文化的側面を検討し、その二つ(あるいはもっと多く)の要素から音聞くこと、これこそがサウンドスケープである。