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金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


296)救済の服従と破滅の反抗

ディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』(みすず書房、2020)をやっと読了した。エリボンの自伝でありながら社会決定論の抗いの物語でもある。帯に記された「労働者階級の出身であると明かすのは、ゲイであることを告白するより難しかった――。」の一文に心惹かれて買ったのだが、長らく積読になっていた。

書評はしないが、ぼくの胸に刺さる文が沢山あったので、その中からいくつか紹介したい。

『ランスへの帰郷』157頁

事実、私の前にはふたつの道が提示されていた。この種の無自覚で、自然発生的な抵抗(それは不適応で不適当な行為、嫌悪や嘲笑や執拗な拒絶といった強情な態度に現れていた)を続けて、他の多くの生徒たちと同じように事の成り行き次第では、自分の個人的素行不良の単なる結果として、ひっそりとこのシステムから排除されてしまうのか、それとも、学校の要請に少しずつ従って学校に順応し、学校が求めることを受け入れ、壁の内側に留まるのか。抵抗は破滅であり、服従が救済だった。

引用文の最後の節「抵抗は破滅であり、服従が救済だった。」という言葉は、ぼくがずっと言語化できなかった言葉だ。いや、しなかった、が正しい。なぜなら、ぼくが破滅を自ら選択したことになるからだ。

いや、違う。社会によって破滅を選択するよう仕向けられたのだ。確かに、今のぼくは破滅を選択した/させられた過去から一続きで存在している。それをエリボンは、イヴ・コゾフスキー・セジウィックを援用し次のように述べている。

『ランスへの帰郷』215頁

恥が「変革のエネルギー」であるなら、自己変革は、過去の痕跡をそこに組み込まなければけっして始まらない。[中略]私たちの過去は、まだ私たちの現在なのである。だから、私たちは自分自身を再表現し、再創造しているが、一から自分を表現したり、創造したりする訳ではないのである。

もし子供のころにまともな教育を受けることができれば、言い換えて、ぼくにとって適切な居場所があれば、もっとよい人生を送れていたのではないか、と強く思ってしまう。だが、それではあまりにも世界が狭い。破滅を選択した/させられたぼくしかできないこともあるはずだ。このベルクソン的な一文は、自分の過去を無効化してはならない(できない)こと、そして未来の可能性を表している。

2023-12-31