109)「通奏低音」という表現
本を読んでいると、「すべてに通奏低音として共通する」あるいは「通奏低音のように」という表現を見かけることがある。おそらく「すべてに通底する」のオルタナティブな表現だろうが、どうもしっくりとこない。確かに、通奏低音と通底の語感は似ているし、通奏低音を略すならば通低だろう(聞いたことないが)。これに関して、ある想像が浮かぶ。それは、もしかして保続音のことをいいたかったのでないか、というものだ。
音楽評論家の文章だったと思うが、「まるでオルガンのペダルでならされる通奏低音のごとく」という文章を見たことがある。これは、通奏低音を保続音の意味で使っていると思われる。通奏低音と保続音、この2つは混同されがちだが全く異なるものだ。
通奏低音とは、低音部の楽譜に記された数字をもとに、即興的に和音を奏するものである。一般的にチェンバロやリュートなど、和音の出る楽器を使用する。スコアによっては、通奏低音が五線で具体的に記されているが、あくまでも一例にすぎず、演奏家によって大きく異るかも知れない。一方、保続音とは、和音に関係なく、同じ音を鳴らし続けることだ。なお、保続音は主音か属音であることが多く、またバスが引き受けることが多い。
まとめる。通奏低音は、クラシック音楽としては珍しく、奏する音が厳密に固定されていない、演奏者によって解釈が異なる動的なもの。そして保続音は、作曲家によって音符が書かれた固定された静的もの。だとすれば、前述した「通奏低音のごとく」という表現は、固定されている感じがする「保続音のように」という意味で使っていると考えるのが自然ではないだろうか。
真偽は定かでないが、五木寛之の『変奏曲』(1973)の中に、比喩表現としての通奏低音が表れると聞いたことがある。『変奏曲』は、本棚のどこかにあるはずだが探しても見つからなかった。もし見つかったから追記したい。しかし、「通奏低音のように」という表現に関して、図書館のレファレンスサービスで聞いてみても面白いかもしれない。
追記(2022-01-07):カロリン・エムケの『憎しみに抗って』(みすず書房、2018年)に「通奏低音」が出てきたが、この比喩だと違和感はない。
2020-03-08