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金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


40)SNSの正義

前回、SNSから離れたいという考えもあるのではないか、と書きましたが、まぁ僕のことです。なぜかというと、SNSを運営する民間のIT企業が、ヘイトスピーチか否かの判断と決定を、そして正義の執行者になっていることに納得がいかないからです。

今年の春から初夏にかけて「ネトウヨ夏のBAN祭り」(以下、BAN祭り)と通称される運動がネット上で起こりました。BAN祭りは、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)及び、YoutubeやTwitterなどSNSを中心に、ヘイトスピーチをしているネット右翼を、通報によってそのアカウントを停止させようという運動です。この行為は一見すると良い行いに見えるかもしれませんが、とんでもない。

この行為のやばさは、ヘイトスピーチか否かを、国家や国際機関といった公的機関ではなく、民間企業にその決定を委ねるところにあります。もし、この状況を正しいとするのであれば、国家ではなく、企業が制限を作ることを容認したことになるでしょう。左翼活動(デモ)している知人は、BAN祭りを喜々として語っていましたが、IT企業が正義を執行していることに対しては、何も感じていませんでした。どうして橋本やトランプが――ポスト・トゥルースによって――圧倒的な勝利を収めたのか、左翼はまだ分かっていないようです。

ちなみに、このBAN祭りではKAZUYAといった、実際にはヘイトスピーチを行っていない右翼活動家に対しても、通報を行いアカウントの停止に追い込んでいます。これは完全な言論弾圧ですし、右翼活動家に対するヘイトクライムです。その後、KAZUYAはヘイトスピーチを行っていなかったとして、アカウントが再開されました。それは、KAZUYAはヘイトスピーチを判断する正義の機関(IT企業)から、名実ともに右翼活動することが許可されたことを示しています。それも言論弾圧に勝利したというエピソード付きで。

さて問題は、思想は相対的であること、すなわち反動がある、という前提を真とした場合、上記の運動は何を意味する(もらたす)のか、ということです。「それは陰謀論だ」と一蹴されましたが、自分ならこの程度、戦術(戦略ではない)レベルで行うと思います。もはや、インターネットは伏魔殿なのか。

2018-08-28